昭和45年12月03日  朝の御理解



 御理解 第93節
 「氏子は神の守をしておるものを、神と心得て参詣する。守が留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり、汚がったりしてはならぬぞ。」

 大変難しい御理解ですよね。お取次をさせて頂く、取次者に対する、これは御理解ですね。けれども、この九十三節、そこのところと同時に、これは私共としても頂かねばならんが、みんなで頂かせて頂く御理解として頂くなら、どこをどういう風に頂いたらよいかと思うのですが。人間は、みな同じように神の氏子じやによって、見下したり、汚がったりしてはならぬぞと、こうあります。
 そこで、私は思うんですけれどもね、人間は、みな神の氏子じゃと仰る、その神の氏子じゃとしての自覚です、銘々が、その自覚を持たなければならん。同時に、見下したり、汚がったりしてはならんぞと。ですから、私自身が、見下されたり、又は、きたながられたりするようであってはならないという様なところを、今日は焦点に、お話を進めたいと思います。人を見るのじゃないです。
 自分自身が汚い奴じゃなぁと見られたり、自分自身が見下されたりするような事のない、いわゆる、神の氏子としてのね、一つのプライドとでも申しましょうかね。神の氏子としての、いわゆる自覚です。神の氏子としての値打です。人間は萬物の霊長であるから、こう仰る。萬物の霊長としての値打。それが私は、神の氏子としての値打だと思う。人から見下されたり、人から汚がられたりする様な事のないように、勿、人を見下したり、汚がったりしてはならんと言うてあるからです。
 そんなら今度は自分自身が人から、汚い奴じゃなぁと思われとりゃせんだろうか、自分自身が本当に人からみくびられると言うか、見下されると言うかそれこそ形の上には、錦のやうな着物着てござるけれどもあの人の心は、もう夜叉のごたるとか汚い乞食のごたる人とかと、私はこれは形の事でもそうです。そんなら心が美しいからと言うてですそんなら私はわざわざ形の上にも、みすぼらしい風をしてはならないと、私はいつもそれを思います。それが贅沢になってはならないに致しましてもですね。
例えば私共は特にこれは取次者としてですよね。それこそ神じゃと思うて参って来ると、ここにも仰っておられる。神の例えば御用お取次の御用をさせて頂く、神の守をしておる者を、神と心得て参詣する。だから私は、いつも思うです。鏡を見せて頂いて、果して取次者のごたる顔をしとるだろうか。取次者のごたる様子が出来ておるだろうか。もうですから、自分の小さい癖一つでもです。
 やはり見逃がしてはならないという風に、私は心がけますけれども。そら皆さんから御覧になってから、いろいろ有りましょう。うちの親先生がまちっと、あげんありなさると良いけれどもというところもあろうけれどもです。けれども私はそういうところも、皆さんの期待に添いたいと、いつも思うとります。先生にお会いしただけで、心がすがすがしゅうなるとか。
 先生とお話させて頂いとると、こちらまで清まるとか、それがほんなら人間心から発散する、そういう尊いものだけではなくて、形の上に於てもそうです。相手はやっぱり人間ですから姿形が悪いと、例えば言うなら羊羮色の紋付を着て、ボロボロになった袴をはいて、そしたら知らん者がひょこっと来ますと何という、金光様の先生は、貧相なこつじゃろうかと思うでしょう。いわゆる見下げられる見下げられちゃ、金光大神に対して相済まん。神の氏子としてもやはり相済まん事になる。
 久留米の初代の石橋先生等はね、身にお着けになるものでも、最高のものをいつも着けておられたという事ですね。お帽子ひとつ買われるでも、それこそ山高帽子昔はね。汽車にお乗りになる時には、必ず、一等車にお乗りになったと言うことです。勿論それだけの事がお出来になる、例えば、それが決して、自分の身贅沢の為ではなくてです、金光様の教師としての、私は、プライドと言うかね。
 金光大神のお手代りをさせてもらう教師としては、こうなからなければならんと言った様な事を、身をもってお示しになったんだと思いますね。だからと言うて、借金して、紋付作ったり、袴を作ったりという訳でもないでしょうけれどもね。それはまぁ分に応じてそこの辺はまたね、もう本当に例えば身に羊羮色の紋付を着とっても、ボロボロの袴をはいておっても、それこそ何とはなしに後光の射しよるごたる。そういう私はおかげを受ける事が大事だと思います。私がもう冬も夏もない、ほんなら一着の夏服で修行させて頂いておる時分に、ひとつ話の様にしてお話しますけれども。
 それこそ破れ靴はいてあっちこっち、破れ鞄を下げて回っておる時に、まぁ何と乞食の様な人だと見た人もありましょう。けれども何とはなしにあの人は違う。いつも家の前を通らっしゃるがあの人は、どこの人じやろうかという風に見えたような場合もあったらしい。私共の妹が丁度善導寺のお寺さんの前あたりに、小さい金融業の様な会社があったところへ勤めておった。
 私がいつも日曜たんべんに大城の停留所から歩いて、三井教会にお参りさせてもらう。月にね一週間に一遍か何日に一遍か位ですけれども、やっぱり変った格好しとるですね。言うならみすぼらしい格好。いつも夏服しかもふせだらけの洋服、破れ鞄を下げて破れ靴をはいて、善導寺の町をこう歩く。ある時にその辺のところの御主人がですね、妹の所の支店長さんですかが、「ちょいと池尻さん、あの人ば見てんの。
 いつもここを通らっしやるが、あの人はただ人じゃなかばの」ち言うちから言わっしやったち。「あれは私の兄でございます」と言うたち、「はぁそげなこつの」と言うてから言うたと言うて、妹が私に話したことがあります。だから何とはなしに、そういう様なものが発散しておったんじやないでしょうかね。久富正義さんが言われました。あの時分の親先生の後姿というものは、本当に後光の射す思いでしたと。
 ある時私は北野から善導寺にかけてから、ちょうど途中で正義さんと会った。それでもの言うてからいうなら右左に分れる。ところが私はちょうど大城と、あそこは二になってますかね、大城橋から善導寺の方へ出るところへ、早道と本通りとがあるんです。私はもう必ずその道をどちらを通れば、こちらを通れば近い事は分っている。けれども近い遠いじやない。どこに御神意があるやら分らんから。
 二股になってるところに立ちますと御祈念をする。どちらの道を通らせて頂いたらよいか、神様にお伺いをしてから、右左を決めるといった様な時代なんです。ちょっとこう会うてもの言うても振り返った途端に、私が岐路に立ってからこうやって、御祈念しとる姿を見た時にそれを感じたと、正義さんは言うております。その当時の私をですからなる程、身にはボロをまとうておりましても心が錦なんです。
 ですからその心の錦がです。段々、一つの信心と言うか、徳になって参りますとです、その本当に心に錦を着とるならば、形の上にも錦が着れる様な、おかげを受ける事が、ある意味に於ての徳の成就だと私は思います。ですから借金を負いかぶってから、よか着物を着るてんなんてんち言う様な事ではです、あの人は形は綺麗にしちゃるけれども、心が汚か乞食のごたると言いましょう。
 ですからここの辺のところは一つようと、皆さんが考えて見なければね、今みすぼらしい格好してるからと言うて、決してほんならそれで金光様の信者として、そげなこつじゃいけんじゃないかという意味ではありませんよ。心から発散するそれこそ後光の射す様な信心が、心に出来ておれば私はそれでいい。けれどもそれが本当なものに育っていくならば、いつ迄もそういう様相をしておく事はない。
 当時の言わば浅い見方しか出来ない人は、本当に乞食の様な人じゃと、乞食のごたる男が来よるが、どこの人じゃろうかと、まぁ言うた人も随分あったかもしれません。だんだんおかげを頂いて参りまして、なる程、神様じゃなと、言われる様なおかげを頂いて行かなければならん。昨日は、日田の綾部さんのところに、お相撲さん達の一行が、ご挨拶に出るという日でした。
 それでお得意さんをみんな招かれたり、それから家も前々からその日はどうでも、お爺ちゃんとお婆ちゃんが、あんなに相撲が好きじゃから、どうでもこうでも来てくれと、必ずお迎えに来るからと言うて、さかんに言うておられました。大体私の方は大変体も不自由ですから出ることが、父なんか特に嫌らいなんです。それでも熱心に言うて頂くから、心を動かしたんでしょう行く事になりました。
 それで夕べ、昨日もう何時頃だったでしょうか。もう五時か六時頃だったでしょうか、迎えに来て頂きました。その時にそれで私は、父に朝ちやんと散髪どもして髭ども当って、それから着物の下着から着替えさせてもろうて、こうして行くならそうして準備して行かにやいけんよと言うて、両親に申しておりました。それで私が着物着る時に私が着せてやるけんで、通知をしてくれと言うとったけれど、それが通じてないから。
 他の人が着せとるから、何かこうドンゴロス着たごたる感じでこうこし、気色の悪かごたるようにしますもんお広前で。そして身ははだけてまあ言うなら、どう見たっちゃスキッとして着てない訳です。それで私は私の着物を出させましてから。それから私がここで着せてやりました。何となしこれでようなったスキッと。年寄りという者はやっぱり、大事にみんながされますけれども、大事にされるならされる程、年寄りは年寄りとしてですね、身綺麗にしとかにゃいけんと思うですね。
 私は両親の部屋に行ってから汚なかもんやら、もう捨ててしまわんのと言うけれども、こうボロんごたるとやらをよう置いとります。こげん所であんただんが、お茶どん出すなら誰でん飲もうごとなかばのと私が。そるけん出来るだけ年寄りは綺麗にしてから、お茶呑み茶碗でんそのまま、人の来なはったらその人の前で、洗うぐらいにせじゃこて気色の悪かよと私が言うけれどもなかなかそれが出来ません。
 けどもやっぱ若い者が心掛けてやらなきゃいけません。ですからやはり見下げられたり汚ながられたりしてはならん。形の上にもやはりそういう工夫とか出来ることならです、そうしておきたい。もうそれこそお神様の部屋に両親と、公子さんがお世話係で行ってくれました。それて別室でもうそれこそ、相撲取りさん達から大変大事にされてから、もうそれこそよっぽどどっかの大事な所の爺っちゃま、婆しゃまのごと本当にもう手でも何でも撫でさすりして貰うたと言うちから、喜んで帰って参りました。
 それがどうでしょう、やっぱ汚なか風しとるなら、誰でん手でん握ろうごとないですよね。私が見てもこれならスキッとしとるという様な格好してやらして頂いた。勿論綾部さんが「こちらは金光様の御両親です」という風に、まあ紹介されたんでしょう。又別室にちゃんとおるから、もうお相撲さん達がとにかく、お爺ちゃんお婆ちゃんにあやかってから長生きせにゃんから、いっちょ手を握らせて下さいと言うてから、大事にされたと言う。チャンコ鍋でも沢山よばれてから、夕べ遅うに帰って参りました。
 だから本当に例えば年寄りなんかがお粗末にされる、そんなら嫁ごがちゃんといや嫁後だけじゃない息子でん孫でん。本当に爺っちゃま婆しゃま達がいつどこの人が来なさったちゃ大事にされなさる様にしとかにゃいけん。私はそう思いますね。これは年寄りだけの事じやない。私共自身もそうです。見下されたり汚ながられたりする様な格好しとっちゃならない。けれどもそれは時と場合でございますからね。
 昨夜の御祈念の後の御理解がね、「乞食信心と大名信心」という事を頂いた。それはどこの奥様じゃろうか、旦那様じゃろうかというごとしてから参って来る人もある。けれどもです、我が用のある時だけ。こればいっちょお伺いせんならんからこればいっちょ、おかげ頂かんならんからと言う時だけ。いかにも身には大名のごたる衣装しとったっちゃです。やはり貰い来るとじやから乞食信心じゃ。
 そうでしょうが。言うならばです、御利益目当ての信心は、まず私は乞食信心と言うていいと思うですね。お互いがまぁ乞食信心から入る訳なんですけれどもね。そして信心が段々分らせて頂いて、信心の喜び信心の楽しみと言うものが身についてくるおかげを頂かせて貰う。昨日夜の御祈念に、久富勇さん達が夫婦で参っておりました。ここで御祈念前にお届けをされますのに、今朝方からお夢を頂いたと言うてお知らせ。
 私共夫婦が佐賀の方へ行きよりますと、一生懸命、佐賀の方へ行っておる。皆さんもご承知の様に、佐賀の方には大きな池が沢山ありましてね。あの菱です菱と言うのがありましょう。そのひしの実を夫婦で一生懸命、こうやって取らせて頂きよるところを頂いた。だから佐賀へ向うという事は、合楽に向う事であろうとこう申しました。佐賀の佐と言う字は人偏に左と言う字が書いてある。
 これはもう合楽の字の様に言われておりますよね。御結界が左と言う様なところから左を大事にここでは致しますよね。賀は賀正の賀、賀ぶと言う字ですから。そういう合楽的よろこびを求めて、一生懸命に、合楽通いをしておるとこう言うのである。そしていうならば実がじがじがする様な、それこそ菱というのは、じがじがするものがついてましょう。けれども中にはそれこそ栗の様なと言うか、美味しい実が入ってますよね。
 まあ今日の御理解を借りて言うならです。言うならば形にはボロを纏うておるけれども、心に頂かせて頂く喜び信心の有難いと言うもの、素晴らしいものをです。いよいよ身につけていきよる時だとこう言うのです。本当に久富さん尊い事ですよと言うて、お話をしたことです。いよいよ信心いわゆる佐賀行きである。合楽通いを一生懸命させて頂いて、昨夜の御理解の中にもたとえて昨日は、久保山さん原さん熊谷さん、久富さん辺りの様に、日に何回も参られると言う方達ばかりでした、夕べは。
 久富先生も御理解頂きながら、こうこやってフラフラ眠りよりなさいますもん。もう熊谷さんもこうやって眠りよんなさいます。原さんも何とはなしに目が重たいという様な感じ。それで私はそれを見せて頂いて、コラコラち言うちからいつもなら言いたい気持なんですけれどもね。昨日ばっかりはそうじやなかったです。尊い事だなぁともう七十幾つにもなって、合楽にしかも六里の道をですよね、いくらバスに乗ってからではあっても、ここに通うて来られるだけでも大変な事であろうと。
 原さんに於てしかり、久保山さんに於てしかり、久富さん達に於てしかりである。久富先生に於てしかりである。けれども、今日私、本当に疲れ切っておられる、もう一日の御用を終って、御祈念を終ってここへ座らせて頂いて、御理解を頂く時にはもう何を先生が言よりなさるじゃら分らんごとあるだろうと思うけれどもです。ここでいつも申します様に生き生きとした心、神様へ向う生き生きとした心。
 言うなら朝参りでもさせて頂いておられる皆さんの様な心、そういう生きた心が神様に通うとこう言う。私も昨日は、何か大変疲れておった。お風呂入らせて頂いて、お風呂の中で一人眠りよった。お湯が少し温かったものですからね。そん時に頂きました事があの不浄という事であった。お道で言う不浄というのは、成就しないとゆう事不浄のある時には、先に断り置いて、願いがある事を頼めとこう仰る。
 ですからね私共が一日の御用を頂き終って、まあそこんにきをです割り切ってですよ。今日はこんなに疲れた事はご承知じゃから、もう早う今日は休もう休もうともうテレビども見てから早う寝ろうと言うところをです。夕べの晩なんか皆そこを押して参って見えておる方ばっかりなんです。ですからお広前に着いたらもう眠気がくるごとある。そんならそういう心では、神様には通わないという事になる訳ですよ。
 生き生きとした心こそが神に通う。ほんなら、そういう疲れ果てた様な心は、いわば神には通わないのだけれども、そういう心を不浄の心とこう仰る。そういう心じゃ不浄の心である、成就しない、神に通わない。さぁけれどもそこからが素晴らしい。不浄のある時には、先に断り置いて、願いある事を頼めと。もう今日は、眠うして疲れて、けれどもこれは、心の自分の信心修行と思うて、お参りだけはさせて頂いているけれども、こんな事じや神様にも通うまいと思う様な心、疲れ果てた心。
 けれども先に断り置いてと仰る。今日は神様この様に疲れて眠りこけておって相済みませんと詫びて願う心。そこにですその事を神様が修行と受けて下さる、その事を受けて下さると言うことになる。私はその御理解頂いてはぁ不浄のある時には、先に断り置いて願いある事を頼めと仰る。この御教の素晴らしい事に、昨日は改めて感じさせて頂いた。皆さん、そんな事が有りましょうが。
 だからそういう時、やれやれと言わずに、やはりその心を神様に向けにゃいかん。その心は神には通わんかもしれん。けれどもその事を断り置いておるところに素晴らしさがある。ですからそういう信心を、私共がさせて頂いておる時にはです、人からぼうけとってじゃなかじゃろうかと、言うなら身にぼろを纏うてと言う様な、まぁみんなが笑うたわけじゃないけれどもです。
 いうならある意味において、貧相でありみすぼらしい事かも分かりません。けれどもね心の錦が出来ていきよる時、これこそ私は大名信心だと思う。信心の喜びが段々分って、心に錦を着けて行く事が、段々尊い事であるい事が分ってくる。所謂久富さんじやないけれども佐賀行きである。合楽的信心の喜びを、それこそ自分の周囲が、じがじがする様な感じだけれども、一生懸命夫婦でひし取りをしとるという様な時なのだ。
 そういう時にはもうそれこそ疲れ果てて、今夜は御無礼してから、早う休もうかと言いたい様な時、そこの所をです押しての修行。心はなる程生き生きしたものではないけれども、詫びる所にその事が、又違った意味合いに於て、神様がお受け下さる事になってくる。不浄のある時には先に断り置いて、願いある事を頼むという事。今日私は取分け人間は、みな同じ様に神の氏子じゃによってとこう仰せられます。ですから私共は所謂神の氏子としてのプライドとでも申しますかね、自覚をもってです。
 人に見下げられたり、汚ながられたりせんで済む私。形の上に於てはそんなら私が、昨日年寄り達に致しました様にですね、年寄りは身綺麗にしとかにゃいかんと言うて、その着物を着せ直したりした様な事でしょう。けれども心の上に於ても同じ事が言える。どんなに形の上に綺麗な着物を着ておっても、心が汚なかったら所謂、今日の御理解で言う乞食信心であっては、矢張り見下げられたり汚ながられたり、自分では気が付かんけれどもするでしょう。
 「持っとるもんばっかりは、却って汚なかのうや」ち言うでしょうが、あれが乞食信心です。今日はそう言う所に焦点を置いて聞いて頂いた。見下したり汚ながったり勿論してはなりません。けれども自分自身が見下されたり、汚ながられたりそれは内外共に、外だけではない心だけではない、その両面がおかげ頂けていけれる信心を目ざす事がです。神の氏子としての、私は資格と言うか、値打を作っていっておる人の姿であると言う風に思います。
   どうぞ。